真珠はアコヤ貝以外からでも獲れる

6月の誕生石である真珠は、主にアコヤ貝から産出される天然の宝石です。貝殻となる成分を分泌する外套膜(がいとうまく)が、偶然に貝の体内に入りこむことによって真珠が生成されるのです。

真珠ができるまで

市場に出回っている真珠のほとんどは、養殖真珠というものです。球体に削った核を、アコヤ貝の体内に外套膜と一緒に挿入することで真珠層を形成させる手法です。天然の真珠は産出が稀で「月のしずく」や「人魚の涙」などと言われています。

真珠は貝殻の成分となる炭酸カルシウムの塊で、つまり成分は貝殻と同じであり、貝殻を生成する軟体動物であれば真珠は作れることが判明されています。

アコヤ貝以外でも、ハマグリ・アサリ・シジミ・ホタテなどの貝類からも真珠が発見されることがあります。しかしアコヤ貝から獲れる真珠に比べてその大きさはとても小さいようです。

ご家庭でこれらの貝類を食べる際にはチェックしながら箸を進めてみてはいかがでしょうか。

真珠はアコヤ貝以外からでも獲れる

6月の誕生石である真珠は、主にアコヤ貝から産出される天然の宝石です。貝殻となる成分を分泌する外套膜(がいとうまく)が、偶然に貝の体内に入りこむことによって真珠が生成されるのです。

真珠ができるまで

市場に出回っている真珠のほとんどは、養殖真珠というものです。球体に削った核を、アコヤ貝の体内に外套膜と一緒に挿入することで真珠層を形成させる手法です。天然の真珠は産出が稀で「月のしずく」や「人魚の涙」などと言われています。

真珠は貝殻の成分となる炭酸カルシウムの塊で、つまり成分は貝殻と同じであり、貝殻を生成する軟体動物であれば真珠は作れることが判明されています。

アコヤ貝以外でも、ハマグリ・アサリ・シジミ・ホタテなどの貝類からも真珠が発見されることがあります。しかしアコヤ貝から獲れる真珠に比べてその大きさはとても小さいようです。

ご家庭でこれらの貝類を食べる際にはチェックしながら箸を進めてみてはいかがでしょうか。

チャップリンのマネージャーは日本人

20世紀を代表するコメディアンにして「喜劇王」の愛称をもつチャールズ・チャプリン。チョビヒゲにステッキを持っている姿が印象的ですが、このステッキは撮影のたびに日本のメーカーに製作してもらっていました。そのことからチャップリンは日本が大好きだったのです。

チャップリンを手助けした日本人

1916年、多忙だったチャップリンは専属の運転手を募集したところ、そこへ応募してきたのが高野 虎市(こうの とらいち)でした。チャップリンは高野が日本人ということだけで即採用を決定したのです。

当初は運転手として仕事を全うしていた高野ですが、その仕事ぶりにチャップリンは非常に感心を受け、身の回りの世話を任せるようになり始めるのです。そしてついにマネージャーとしてチャップリンの世話をすることになりました。

ちなみに、チャップリンの映画『冒険』にて、運転手役として出演もしています。

しかし1934年のある日、チャップリンの妻であるポーレットの浪費癖を注意したところ、そのことがチャップリンの耳に入ったことで、高野はマネージャーを解雇されてしまったのです。

プロ野球で獲得した選手が全くの別人だった

1968年、千葉ロッテマリーンズの前身である東京オリオンズは、不振だった戦績を打破すべく助っ人外国人を起用することになりました。獲得した選手は大リーグ・ヤンキースのスター選手で、1966年に引退したヘクター・ロペスという選手でした。

別人だった外国人

そして始まった春季キャンプ。そこに現れたのは左投左打のロペスでした。本来獲得したはずのヘクター・ロペスは右打右投の選手なはずです。そう、何らかの行き違いにより、同名のアルト・ロペスという選手が来てしまったのです。アルト・ロペスもヘクター・ロペス同様にヤンキースに所属していましたが、目立った成績もなく落ちこぼれていた選手だったのです。

しかしオリオンズの首脳陣は彼をすぐに帰国させることなく、ダメもとで起用してみることにしたのです。ところが蓋を開けてみると開幕戦でいきなり決勝タイムリー三塁打を放ち、オールスターゲームでは史上初となる初回先頭打者初球本塁打を記録するなど、数々の功績を残しました。1970年には彼の一躍もあり、チームをリーグ優勝へと導いています。

しかし1972年、監督の変更によりチームが一新されることになり、ロペスもトレード移籍を命じられます。その際にロペスは監督に直接、日本語で「ハートが冷たいよ」と言い放ったそうな。

確かに間違いとはいえ自分を受け入れてくれたチームから追放される心境を考えると、この一言にも納得です。

「面白い」の反対語は「面黒い」

愉快でおかしい様子だけでなく、興味深い事柄に関しても「面白い」という言葉を使います。面白いの反対は「つまらない」ですが、実は「面黒い」というダジャレのような言葉が存在するのです。

面白いと面黒い

そもそもなぜ愉快なことを「面白い」というのでしょうか。「面」とは目の前のこと、「白い」とは明るくてハッキリとした様子を表しています。そのことから、目の前が明るくなるという意味が転じ、「楽しい」などの明るい感情を表す言葉となったのです。

そしてそんな「面白い」の反対語として「面黒い」という言葉があります。これは江戸時代にはすでに使われていたとされますが、その誕生はもちろん「白」の反対は「黒」だから、という何とも言えない理由で生まれました。この「面黒い」という言葉は、俳句や川柳などに用いられていました。

マスクをしてもウイルスには効果がないのは本当?

インフルエンザに代表されるウイルスによる感染の主な原因は「飛沫(ひまつ)感染」によるものです。咳やくしゃみなどによって病原体が飛び散り、口や鼻などの粘膜に直接触れて感染するのです。

マスクに効果はない?

この飛沫感染を防ぐために、マスクの着用は必須といわれていますが、実際は効果が期待できないという意見もあります。

というのも、例えばインフルエンザウイルスの場合、ウイルスの大きさは約0.1μm(マイクロメートル)、一般的なマスクの穴の大きさは約5μmです。ちなみに、つまり、マスクの穴の大きさはインフルエンザウイルスの約50倍となり、これはザルで水をすくう様なものであり、ウイルスはマスクを簡単に通過してしまいます。

しかしウイルスは唾液と共に飛び散ります。その唾液の大きさは約5μmであるため、マスクを着用することにメリットはあるといえるでしょう。

実際にマスクを着用した際の効果は厚生労働省でも認められてはいますが、同時に明確な科学的根拠はないため、マスクを着用することのみによる防御を過信してはならないともアナウンスされています。

感染者のマスク着用は最低限のエチケットですが、感染を防ぐためにもマスクを着用することも大切です。

東京都葛飾区にある「亀有」は、昔は「亀無」だった

秋本治の大ヒット漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のおかげで全国的に認知されている下町・亀有。この地名は元々は今とは真逆で「亀無」と呼ばれていたのです。

亀有は亀無だった

亀有は1398年には『下総国葛西御厨注文』で「亀無」と、そして1559年には『小田原衆所領役帳』で「亀梨」と表記されているのが確認されています。この地名は低湿地帯だったこの近辺が亀の甲羅のように盛り上がった地域だったことから、「亀」の甲羅の形を「成す」土地という意味で「かめなし」と名付けられました。

しかし「無」では縁起が悪いとされ、江戸時代初期である1644年頃に『正保国絵図』を作成する為の書類にて、現在の「亀有」に訂正されたのです。

ちなみに前述した漫画の舞台となる「亀有公園前派出所」は、実際には存在しません。

ヌンチャクは中国の武器ではない

香港映画の大スターであるブルース・リーが使用したことで一世を風靡した武器、ヌンチャク。二本の同じ長さの棒を、紐や鎖などで連結したもので、振り回すことによって敵を攻撃します。ブルース・リー世代の少年たちは必死になってヌンチャクを練習したとも聞きますが、実はヌンチャクの発祥は中国ではなく日本だったのです。

ヌンチャクの起源

ヌンチャクは沖縄の武術である「琉球古武術」の武器として用いられていました。ヌンチャクは着物の中や腰帯の中に忍ばせておける、隠し武器されていました。そのため当時のヌンチャクは現在のものと比べると小型で、長くても30cm程だったとされます。

一般的には持ち手(敵を攻撃する部分)部分は木製ですが、手ぬぐいを水で濡らしたり、手ぬぐいの端に石を包んでおくことでも木製ヌンチャクと同等の攻撃力が出せます。この特徴を活かし、隠し武器や護身用の武器として用いられていたのです。

ちなみに現在の日本でヌンチャクを携帯していると、軽犯罪法に触発する恐れがあります。

バスケットボールは50人チームで対戦していた

バスケットボールリーグの最高峰であるNBAに日本人選手が活躍するようになり、賑わいをみせています。バスケットボールは大学の体育講師を勤めていたカナダ出身のアメリカ人「ジェームズ・ネイスミス」によって考案されました。ネイスミスが考案した時点では、ルールはたったの13しかありませんでしたが、長い年月を経て現在では約250ものルールによって成り立っています。

バスケットのチーム人数

ご存知の通り、バスケットボールのプレイヤー人数は、1チーム5人で対戦されます。しかし当初の13のルールの中には、プレイヤー人数に関する規定は書かれていませんでした。ネイスミスは、両チームが同人数であれば何人であっても良いと考えていたのです。

実際に世界屈指の名門校であるアメリカのコーネル大学では、50人対50人でバスケットボールの試合が行われており、この試合を担当していた担任は「体育館が破壊されかねない」というコメントを残しています。そこで1894年に、フロア面積に合わせて5人、7人、9人で1チームとするようにルールが制定されました。現在のように1チーム5人で確定されたのは、1897年のことです。

さらにルールは細かくなり、欠員が出ても補充することができ、交代の回数に制限は無く1人のプレイヤーが何度も交代することができるというルールも制定されたのです。

エアロビクスは宇宙飛行士のためのエクササイズ

今でこそダイエットやエクササイズに有効な手段として、有酸素運動は当然のように取り入れられていますが、その発祥ともいえるのがエアロビクスです。エアロビクスダンスとも呼ばれるこの運動は、キレの良い踊りを取り入れたダンス形式の運動プログラムで、心肺機能の向上を目的としています。

エアロビクスの発祥

エアロビクスは1967年にアメリカの運動生理学者であるケネス・クーパーが提唱した理論をもとに、ジャッキー・ソレンセンが開発したといわれています。1981年にケネス・クーパーが来日し講演した際に、このエアロビクスを紹介するやいなや、日本全国でエアロビクスブームが発生しました。

開発当初はハイインパクトと呼ばれる、走る動作や跳ねる動作が多用されていましたが、それに伴う障害や疲労骨折が多発したため、ハイインパクトを抑えたエクササイズへと転向していきました。

このエアロビクスは、肥満解消などのために考案されたわけではなく、宇宙飛行士の心肺機能トレーニングプログラムの一環として開発されたものだったのです。かの有名な日本人宇宙飛行士であった毛利衛も、宇宙空間における心肺機能トレーニングとしてエアロビクスを取り入れていました。