第111回 チーズの歴史と作り方

●はじめに

前回に引き続き乳製品ネタ。今回は、チーズの話です。

1.チーズと私たちの長い付き合い

 チーズは人類が作った最も古い食品、とも言われ、起源としては、モンゴルや中東やインドなど、遊牧民が作ったと考えられます。山羊などの乳を保存しているうちに、偶然生物の働きによって、液体から白く美しい固まり(カード)と液体(ホエー)に分離して、固まりが美味しいことを発見したのだと思われます。

 ちなみに、ひつじの胃で作った革袋にヤギの乳を入れて旅にでたアラビアの商人が、砂漠でのどがかわき、袋をあけたところ、ヤギの乳が白い固まりと液体になっていたという民話も残っています。さぞかしガッカリしたことでしょう。また、ゾロアスター教(歴史のコーナーを参照)の創始者ゾロアスターは、20年間チーズだけで生き、そのおかげで雄弁となりゾロアスター教を開けたという逸話まであります。恐るべしチーズ!

 話ずれますが、仏教の方はお釈迦様が断食で衰弱していたところ、スジャータという若い娘がヨーグルトを与え、これを食べたら健康が回復し、明けの明星で悟りを開いたとか。
 乳製品をバカにする事なかれ。

 で、このチーズ。古代ギリシャでは神への捧げものや、食されていたそうです。
ホメロスの叙事詩「オデユッセイア」には「チーズ」という単語が出ていまして、既にこの頃には食用にされていたと考えられています。また、古代エジプトの女王クレオパトラもチーズを好み、果物と共によく食べていたとか。美貌の秘訣は、チーズを食べてカルシウムを摂取し、細胞が生き生きとした艶のあるお肌にあったのかも? 

 もっとも、チーズも前回紹介したバターと共に薬用が基本であり、普及にはまだ時間がかかります。結局、ヨーロッパを代表する食材になるのは、バターと同様中世以降となりました。その後は、一般家庭でも作るほどヨーロッパ文化に根を下ろすことになります。現在、フランスでは昔からの伝統的なチーズ作りを行っているチーズをAOC(原産地統制名称制度)チーズとして認定し、ブランドと伝統を守っています。

 ちなみに、フランク王国のカール大帝は青カビチーズが大好物。
 フランスのナポレオン1世は、カマンベール村のチーズを大変気に入り、その後これは、カマンベールチーズとしてメジャーになったと言われています。

 日本では、似たような乳製品は前回で御紹介しましたが、チーズの本格的な利用は、1875(明治8)年に、北海道で製造され、さらに15年が経って、1900年に売りだされてから。実はまだ、100年ちょいしか食べられていない新しい食品というか、いつの間にか100年も食べられているというか・・・。ただし、実際に日本人がチーズを当たり前のように食べるようになったのは、ピザなどが流行するようになった昭和40年後半~昭和50年ぐらいからだとか。

4.チーズの種類

 まず、現在のチーズは約2000とも3000種とも言われています!
 しかし大別すると、
  ・ナチュラルチーズ
    種類ごとにいろいろな乳酸菌やカビがチーズの中で生きて活躍。 それぞれに味や香りが違って「食べ頃」がある。
  ・プロセスチーズ
    いろいろなナチュラルチーズを混合し、熱処理をしてあるので、 味が安定していて、保存もきく。
 となります。プロセスチーズの方は比較的歴史が浅いとか。
 なお、プロセスチーズ100gをつくるのに、1000mlの牛乳が使われるため、栄養価は非常に豊富! 特に、カルシウムは、牛乳の約6~7倍含まれ、さらにチーズのカルシウムはとても体に吸収しやすいそうです。カルシウム不足にお悩みに人は是非食べましょう。

 また、一口にチーズと言っても中に含まれている脂肪分が異なり(原料が全乳であるか、あるいは脱脂乳、半脱脂乳、強化乳かで変わる)
 ・脱脂乳チーズの乳脂肪分は、0.5%以下
 ・チェダー、ゴーダ、カマンベールなど、標準的なチーズの脂肪分は45~50%、
 ・クリームチーズ(2~3倍のクリームを添加)の乳脂肪は60~75%
 となっています。

 さらに、
 ・超硬質チーズ 水分35%以下で熟成期間も長い (パルミジャーノ、ロマノなど)
 ・硬質チーズ 水分35~40%(チェダー、エメンタールなど)
 ・半硬質チーズ 水分40~50%(ロックフォール、リンブルガーなど)
   *このうち、カビによって熟成したモノは青カビチーズ。
 ・軟質チーズ 水分35~40%(カマンベール、カテージなど)
   *白カビによって熟成したモノは白カビチーズ。また、そもそも熟成させないフレッシュチーズなど。
 *また、特記以外は細菌によって熟成。
  などなど・・・。う~ん、細かく分類すると大変なことになりますね。分類方法も様々です。

5.プロセスチーズの工程

 我々にはこっちの方がなじみ深いと思いますので、ここではこいつを紹介します。
 1.「クラリファイヤー」という機械で、牛乳をすごい勢いで回転させて、小さなゴミをとばしてキレイにする。
   *森永乳業の場合
 2.殺菌
 3.冷却
 4.牛乳に乳酸菌を加える
 5.凝乳酵素を加えて静かに置く。すると、タンパク質(カゼイン)が固まり、豆腐のようになる。
   そこで、チーズバットの中のかくはん機の歯を回転させてカット!
   そして固まったものをカード、液体になったものをホエーといいます。
 6.ホエーを分離し、カードだけをチーズマシンに運ぶ
 7.チーズマシンでカードをスティック状にカットし、塩分を加える
 8.次に型に詰めて圧力をかけ、残ったホエーを抜いて、とりあえず完成(ここまでだと、基本的にナチュラルチーズ)。
 9.検査
 10.今度は、他のチーズとの混合を開始(この工程があるから、プロセスチーズ)。
    粉砕器で砕き、混合機で混ぜ合わせる。
 11.加熱し融合
 12.完成。あとは、製品の種類によってカットの形を変え、梱包して出荷!

 ということで、前回と合わせてお楽しみ頂けたでしょうか。
 それでは!

参考文献・ホームページ
モノの世界史 宮崎正勝著 原書房
つい誰かに話したくなる雑学の本
マイクロソフト エンカルタ百科事典2004
森永乳業株式会社 バーチャル工場http://www.morinagamilk.co.jp/product/menu0301.html
雪印乳業 チーズクラブ 
全国乳業協同組合 http://group.lin.go.jp/jf-milk/
楽天市場 小岩井からの贈り物 http://www.rakuten.co.jp/makibaya/463934/

バター&マーガリンの歴史と作り方

●はじめに

 今回はバターとマーガリンの話。
 ご存じ、乳製品から出来る食品で、特にバターはパンに塗ったり(マーガリンの方が多いですけど)、ホットケーキに塗ったり、料理のお供に使われています。今回はそのバターとマーガリンについて色々なお話をしてみたいと思います。

1.薬用だったバター

 そもそも、バターは作るのが簡単!
 牛乳の中の脂肪を集めることでつくられるバターは、基本的には牛乳を振り混ぜ成分を分離し、脂肪分を固めるだけで完成。ですから人間との関わり合いは古く、紀元前2000年ころのインドの教典にもバターづくりが書かれています(つまり、この頃から食用として食べられていたわけです)。

 当時の製法は、主に山羊や馬からとった乳を入れた容器を揺り動かしたり、棒でかきまぜたりして成分を分離し、固めたものでした。そして、特に遊牧民がバターを好んでいたんですね。

 そのため、紀元前5世紀にはイタリア半島のローマ共和国(後のローマ帝国)に伝わったのですが、「野蛮人の食べ物」として、あまり食用にはしませんでした。

 ところが、食べはしませんが皮膚に塗ることを考えついたのです。特に赤ん坊、幼児の皮膚を軟らかくすると考えられ、お風呂にはいる時に塗ったみたいですね。さらに、ローマの博物学者プリニウスは「蜂蜜と一緒に歯茎につけると、歯痛にも効きます」と勧めているほど。おやおや、食べないけど口には入れるんですね。他にも、整髪料、灯油にもこのようにヨーロッパにおいて、バターは薬用などとしてスタートしました。

 その後、ポルトガル地域では紀元前20年頃から、フランスでは6世紀、ベルギーでは12世紀、ノルウェーでは13世紀になって食用としてバターを使い始め、今のように料理に欠かせない材料となっていったのです。ただし、ローマ(イタリア)では相変わらず食用にならなかったのか、今でもイタリア料理にはバターを使ったものが少なく、オリーブオイルが多いですね。

 ちなみに、日本でもバターは薬用として江戸時代にデビューしました。
 幕府第八代将軍・徳川吉宗がインド産の白牛を輸入し、この牛の乳から「牛酪」(バター)が作られたと言われています。これが薬用として使われ、明治以降になってようやく食用となり、戦後になるとパン、それから洋食のお供として普及しております。

 ちなみに乳製品それ自体は560年頃、朝鮮の百済から搾乳技術が伝えられ、また奈良時代には唐からも伝わり、平安時代には特に関東で「(そ)」と呼ばれる牛乳を煮詰めて凝縮したものを造り、これを平安貴族に納めていました(バターとは少し違いますが)。で、平安貴族は美味しい&健康によいとして、なめていたんですね。おお、意外とグルメじゃないか、君たち。乳製品で言えば他にも、酪(らく)、醍醐(だいご:醍醐味の語源)というのもあったとか。その後、一般に普及しなかったのは残念?

2.バターの分類

 まず、現在のバターは
 1.食塩を添加しているか
    ・加塩バター(食塩含量約2.0%)
    ・無塩バター
 2.原料クリームを発酵させているか
    ・発酵バター(乳酸発酵したクリームを使用、独特の香りがあるが、保存性に難あり。古来のバターはみんなこれ)
    ・非発酵バター(非発酵バターは発酵していないクリームを使用、風味がよく保存性あり)
 に分類されます。日本では家庭用の場合、非発酵バターが大半を占めます。
 しかしながら、古来からの味である発酵バターの魅力もコクがあって捨てがたく、小岩井農場では発酵バターを作っているそうです。また、ヨーロッパでは発酵バターの方が主流。非発酵バターはアメリカ、日本、オーストラリアで主流だとか。ちなみに、何で古来かというと、置いておくと勝手に発酵してしまったからですな。

3.バターの工程を見ていきましょう

 それでは、その工程ですが。
 1.まず、牛乳からクリームを分離します。つまり、脂肪分を抜き取るんですね。
   機械で行う場合、「クリームセパレーター」という機械に牛乳を入れ、高速で回転させると「クリーム」と「脱脂乳(スキムミルク)」の2層に分けます。
 2.クリームを殺菌します(森永乳業の場合、95℃で60秒間、熱をくわえ、ビタミンなどの栄養分をこわさずに、細菌やカビを殺菌。雪印乳業の場合は70~80度に加熱)。
   *発酵バターの場合は、ここで乳酸菌スターターを加える。
 3.熟成させます(=エージング。クリームを低い温度(5~9℃)で7時間以上ねかせること)
 4.「チャーン」という機械でクリームをかきまわす。これによってクリームの脂肪の粒がくっつき、米粒ぐらいの大きさになるまで2~3分かきまぜて、そのあとにバターの粒とバターミルクをわける。
 5.バター粒を水で洗う
 6.加塩し練り込んでいく。
 7.ワーキング(バターの粒をよく練り合わせ、なめらかにする)。
 8.出来上がり。ただし、工場での製品の場合は、きちんと形を整え、検査し、箱に詰めることになります。

 と、こんな感じで作られているわけで、現在のバターは意外と手間かかっていますね(笑)。

4.代用品として登場したマーガリン

 忘れちゃいけないのはこちら!
 最初は忌み嫌われていたバターも、中世以降、すっかりヨーロッパに普及します。
 そんな中、代用品も求められ、1869年、フランスでマーガリンが誕生しました(1869年と言えば、日本の首都が東京に遷都された年)。

 何故代用品が求められたかというと、当時プロイセン(後のドイツ帝国)と戦争中だったフランスは、生活必需品であるバターが欠乏していたんですね。そこで皇帝ナポレオン3世(有名なナポレオン1世の甥)は、代用バターの発明を懸賞募集し、フランス人メージュ・ムーリエ・イポリットの考案を採用してmargarineと名付けたのが始まりです。

 これは、ギリシャ語のmargarite(真珠)から来たことばで、真珠のように美しい油のかたまりという意味だとか。当時の文献は少なく、原料の詳細はよく解っていませんが牛脂軟質油 75% 、オリーブ油 5% 、牛乳 20% 、乳房からの抽出物 少量 だと考えられ、味は「まあ、まあ」だ、そうです。


 現在、マーガリンは原料油脂、発酵乳、食塩、着色料、乳化剤、ビタミンAなどを混合し、冷やしてかため、ねりあわせてつくられます。そして、原料油脂にはヤシ油、パーム油、ダイズ油、綿実油、コーン油、サフラワー(紅花油)、ナタネ油などの植物油脂を使用。

 誕生当時はあくまで代用品でしたが、「マーガリンの方が健康に良い」と注目され、さらに作りやすく、マーガリン自体の風味も向上したことから、大きく普及しているのは周知の通りです。なお、マーガリン類には油脂含有率により、マーガリン(油脂80%以上)とファットスプレッド(油脂80%未満)の2種類に分類されています。また、ケーキ用だ、学校給食用など、現場に合わせて、溶けやすかったり、溶けにくかったり成分を調節した物も色々とあります。

4.日本におけるマーガリン

 日本には明治中期に輸入されて登場。日本に住む欧米人達のためです。
 しかし、日本でも軍隊向けなどに注目されるようになり、これを作ってみようと山口八十八や千足栄蔵といった人達が研究を始め、その後、「人造バター」として国産でも作られるようになりました。そして、味が向上し、バターとは違う商品だ!と言うことでしょう、昭和27年からはマーガリンとして販売されるようになりました。それにしても、「人造バターって凄い名称ですね。

  と、こんな感じで私たちが食べる食品は出来ているわけです。
 食べ物の歴史を知り、その作り方も知ることで、より食生活が豊かになると私は思います。次回は引き続き、同じ乳製品であるチーズを御紹介します。
参考文献・ホームページ
モノの世界史 宮崎正勝著 原書房
つい誰かに話したくなる雑学の本
マイクロソフト エンカルタ百科事典2004
森永乳業株式会社 バーチャル工場http://www.morinagamilk.co.jp/product/menu0301.html
雪印乳業 http://www.snowbrand.co.jp/
マーガリン工業会 http://www.j-margarine.com/
全国乳業協同組合 http://group.lin.go.jp/jf-milk/
楽天市場 小岩井からの贈り物 http://www.rakuten.co.jp/makibaya/463934/

名古屋のみんなの味『すがきや』

○これが名古屋の味だ!!

 名古屋の人なら一度は食べてるであろう甘党とラーメンの店『すがきや』
 ここまで名古屋人をとりこにする名古屋の誇るファストフード『すがきや』の魅力を紹介します。

1.What’s すがきや?

 東海地区を中心に静岡、北陸、関西にまで広がる304店舗(平成15年4月現在)の飲食チェーンです。

 メニューには甘党とラーメンの店というだけあり、というかそのまんまですね。サイドメニューもありますが、やはりこの2本柱ですね。

  ・甘味 ソフトクリーム 130円 そのまんまです。
  ・クリームぜんざい 180円 一番人気。小豆とクリームの相性抜群
  ・杏仁豆腐&しるこ杏仁豆腐 230円 ニューフェイス。

 やはり名古屋人は小豆が大好きなようです。小倉トーストがある土地柄ですねぇ。

2.すがきやのラーメン

 やはり、『すがきや』といったらラーメンですわ。チェーン店なので、工場での大量生産です。しかし、飽きの来ない不思議な魅力です。

 麺は中太でスープは『和風とんこつ』。オフィシャルでは秘密ということですが、 とんこつベースに魚のダシが加わり、あっさりと仕上がっています。普通のラーメンは270円、卵とチャーシューが乗った特製ラーメンが370円。この値段なら子供がお小遣いで食べにいけますね。

(写真:インスタントラーメンとしても販売中)

3.すがきやの歩み

 さて、そんな名古屋で愛され続ける『すがきや』。
 その歩みを見てみましょう。

 昭和21年3月 名古屋・栄に甘党の店『寿がきや』開店。
          直後にラーメンも出すようになり甘党とラーメンの店となる。

   33年4月 キャラクター『スーちゃん』誕生
   36年 日本で初めてスープのもとの粉末即席化に成功、発売
 (私も今回調べて初めて知りました。インスタントラーメンに不可欠となった粉末スープをここが開発していたんですね。だからどこのお店でもきちんと同じ味が出せるんですね。ちょっと驚き)
   44年10月 大曽根で11店舗が開店し、本格的にチェーン店化
  62年 POS SYSTEM導入
  (結構早い段階での導入じゃないでしょうか)
 平成11年 『シナボン』(シナモンロール専門店)1号店が東京吉祥寺に開店
  (ここがすがきやと繋がってるとは知らなんだな)
    13年 名古屋駅エスカ地下街に『寿がきや』1号店を再現した『こだわりのラーメン専門店』開店
  (ちゃんと甘味もあるでよ)


 この『すがきや』が安くて美味しく、近くにあるから、名古屋ではラーメンはおやつ感覚で食べられてきたのです。名古屋にはきしめんや味噌煮込みといった麺の文化があるにもかかわらず、名古屋のラーメンが発展してこなかったのにはこの影響があるのでしょうね。

 それほどに名古屋に根付いているこの『すがきや』、名古屋においでの際は是非一度食べりゃあせ。病み付きになるでなも。

スガキコシステムズ株式会社HP
http://www.sugakico.co.jp/

乾杯!の起源とは?

●はじめに

 今回は、「乾杯」の起源にスポットを当てます。もちろん、お酒を飲む時にやる恒例行事で、お酒飲む時には深く考えないと思いますが、当然起源があるのです。

1.日本の「乾杯」の起源

 実を言うと、日本で乾杯!とするようになったのは、比較的最近のことです。
 と、言っても起源は江戸の幕末のこと。1854(安政元)年、日米和親条約ならぬ、日英和親条約を協約した後で、イギリスはエルギン伯を日本に派遣し、通商約款の補足をさせることになりました。一方で幕府は井上信濃守清直らを派遣し、交渉にあたらせ、それが終了した後で晩餐をすることになりました。

 そこでエルギン伯、「我が国では国王の健康を祝して、杯を交わす習慣があるのだが、是非やろうではないか」と提案します。井上清直らは、当然そんな習慣は日本にないのでとまどいますが、ともあれ失礼の無いようにやることにしました。と、そこで会話が途切れ静まりかえった時、井上清直が突然立ち上がり、「乾杯!」と大きな声で叫び、静かに着席。エルギン伯をはじめ、皆大笑いで、それが故に記録されてしまったんでしょうね。

 ともあれ、これが杯を交わす時に「乾杯!」という起源になったと言われています。

2.余談:井上清直の名誉のために・・・

 ところで、これでは井上清直は単なるお馬鹿さんと言うことになってしまいますが、ハリスと日米修好通商条約を結ぶなど、幕府の主要な外国との条約交渉の責任者として激務をこなした官僚です。1810年生まれ。弟に有名な川路聖謨がいますが、この人物については歴史のコーナーではないので省略します。

 んで、この乾杯事件の翌年、安政2年に下田奉行に任命され、ハリスと日米修好通商条約の交渉を開始し、これを安政5年に締結されます。同年、外国奉行にも任命され兼務。同僚の岩瀬忠震と共に対外交渉の責任者になり、日露修好通商条約や日英修好通商条約を調印させます。そして、町奉行になった後、1863(文久2)年には、小笠原長行に従い兵と共に上洛し、更に戻るとまた外国奉行になったり、関東郡代兼帯や勘定奉行になったりと、大忙しで(実は政変で左遷なんかも繰り返しています)、1867(慶應3)年に死去しました。・・・・過労死じゃないんですか?

 ちなみに開国派の人物で、井伊直弼と直談判したり、勝海舟を太平洋横断させるなど人物眼もあります。ちなみに、先ほどでた岩瀬忠震というのは、やはりほとんどの外交交渉に係わった人物で、頭脳明晰かつ直球で物を言うタイプ。井上清直は、乾杯!と叫んでしまいましたが、本来は謹厳実直な人物で、この2人はまさに名コンビと言ったところでしょう。ただ、岩瀬はその性格ゆえに将軍継嗣問題時に徳川慶喜を強く推薦、結果、ご存じの通り後の徳川家茂が将軍になるので、井伊直弼ににらまれ安政の投獄で投獄され、亡くなってしまいました。

 そんなわけで、これは幕府滅亡から随分たった後の徳川慶喜の発言ですが、幕府には人材がいないわけではないんです。問題は良いポストに登用する手段がなかなかないんだって。

3.では、乾杯という儀式そのものの由来は?

 さて、話が随分ずれてしましましたが・・・。では、グラスをチーン!とさせる、日本語で言う乾杯という儀式の起源はどうなんでしょう? これは、古代に神や死者のために神酒を飲んだ宗教的儀式が起源らしく、転じてやがて人々の健康や成功を祝福する儀礼に変化したそうです。では、なんでチーンとグラスをあわせるのか。これは諸説ありますが・・・

・酒の中に宿っている悪魔を追い払うために、グラスを会わせて音を立てる。
・グラスを勢いよくぶつけ合うことで、互いの酒を混ぜ合わせ、毒が混入していないことを証明。
・家の主と客が乾杯し、同時に飲み干すことで、客にすすめる酒に毒が入っていないことを証明。
だ、そうです。

 さて、それが日本に入ってきたんですが、では類似の事は日本人はそれまでやらなかったのでしょうか。いやいや、酒をよく飲む日本です。当然あります。一番有名なのは、戦国時代。出陣する時に杯を手に持ち、みんなで高く掲げ、それを飲んで、杯をたたき割る! そしていざ出陣! 大河ドラマなんかではたまに出るシーンです。

4.外国語で言う乾杯

 では、日本語で言う乾杯を外国語に訳すとどうなるのでしょうか。
 意味は基本的に、どの国も健康を祝して!と言った感じです。

 イギリス・アメリカ・カナダでは、Cheers!(チアーズ)
 フランスでは、A votre sante!(アボートゥル サンテ)
 ドイツでは、Prosit!(プロージット) もしくは、Prost!(プロースト)
 スペイン・メキシコは、iSalud!(サルー)
 エジプトでは、Fi Sihhitak!( フィ シヒタック)

 と、ここで面白いのがイタリア。Cin Cin!(チン チン)だ、そうです。そういや、下ネタとして聞いたことあるなぁ。

 あと、これは私なぜだか知らないですけど、中国では乾杯!(カンペイ)というそうです。井上清直は、これを元に発言したんでしょうか・・?それとも、中国が井上の「乾杯!」と言う言葉を輸入したのでしょうか????

 また、タイではChai Yoo!(チャイ ユー) ・・・・万歳!と言う意味、だそうです。

 参考文献:つい誰かの話したくなる雑学の本  日本社 著 講談社+α文庫
 東京ガス・食の110番 http://www.home.tokyo-gas.co.jp/shoku110/
 歴史関係については色々・・・・・。

リンゴに関する様々なお話

○はじめに

 最近、いくら何でもちょっと堅すぎるネタばかり届けていたので、雑学万歳の原点に立ち戻り身の回りの物についてみていきましょう。と言うわけで、今回は「リンゴ」。食品についての雑学は久しぶりですね。

1.そもそもリンゴって何?

 意外かもしれませんが、リンゴはバラ科の植物。定義としては、バラ科リンゴ属の落葉樹木と果実の総称となります。基本的には世界の温帯地域に生育し、果実の外観は種によって、例えば皮の色は緑色、黄色、赤、黒ずんだ赤色など。果実の形は球形、ひらたい形、細長い形が存在。さらに大きさも、サクランボ程度のものから、中型のグレープフルーツくらいまで存在し、一口にリンゴと言っても世界には実に多様な種類があるのです。

2.いつから栽培が始まったの?

 リンゴの原産地は中国の中国・天山山脈。または、カスピ海や黒海のあたりとする説もあり、よく解りません。
 前者の説によると、コーカサス地方からヨーロッパに伝わっていくことになります。そしてなんと、既に新石器時代の今から8000年前の炭化したりんごがトルコで発掘されているのです。さらに、紀元前1300年頃のナイル川デルタ地帯における果樹園、古代ギリシャではリンゴの野生種・栽培種の区別と接ぎ木による繁殖法を書いた書物、古代ローマでリンゴの品種を書いた書物があったことが確認されており、リンゴ栽培と私たち人間の歴史は非常に古いものです。

 その後、ヨーロッパ人達はアメリカに移民すると故郷のリンゴを持っていったため、アメリカでもリンゴの栽培が始まります。日本で今栽培されているのは、このアメリカで栽培されたリンゴなのです。

2.日本にはいつからあるの?

 リンゴという名前それ自体は、平安時代中頃の『和名類聚抄』という書物(著:源順による百科事典)に「利宇古宇(りうこう)」として記録があります。中国 から渡来した「和りんご」とか「地りんご」と呼ばれる粒の小さな野生種であったと言われ、今、我々がよく見かけるリンゴとは違います。そしてコレがなまって、「りんごう」「りんご」となったと考えられています。ちなみに、鎌倉時代ぐらいから日本でも栽培されています。

 今見かけるセイヨウリンゴは、まず幕末の文久時代(1861~63年)に江戸巣鴨の屋敷に植えられたのが最初で、明治維新を迎えると1872(明治5)年に北海道開拓使によって75品種を輸入され、内務省勧業寮試験場の主導で全国で栽培をスタート。その結果、信州や東北地方で栽培に適することが判明し、今のようにリンゴの産地となっていきました。ちなみに、最終的には600種類が導入されたそうですが、今は10種類程度栽培されるにとどまっているとか。

 そして、セイヨウタンポポと同様、初めは「西洋リンゴ」と呼んで従来のリンゴと区別していたのですが、結局西洋リンゴの方が一般的になり、こちらが「リンゴ」と呼ばれるようになります。なお、リンゴの栽培に適した気候ですが少なくとも2カ月間、平均気温が氷点近く、氷点以下になる地域とのことです。-40℃ぐらいまでは耐えるとか。そんなわけで、寒い地域には食料として貴重なものになります。

3.おいしさの秘密と見分け方

 さて、リンゴのおいしさの秘密は何と言っても「」にあります。
 この蜜が出来るまでですが、まず光合成によって葉でつくられたデンプンが急激に糖に変化し、果実に運ばれるようになります。大量にはこばれた糖(ソルビトール)が、果実の水や栄養の流れる通路(維管束)からあふれて、細胞と細胞の隙間に入り込み、リンゴの断面を見ると透き通った感じになっています。当然、熟度が高いほど蜜の量は多くなります。ただし、「北斗」「ふじ」は沢山の蜜がはいりますが、「王林」「つがる」は殆ど入らないそうです。でも、糖それ自体の量は変わらないとか。

 その「おいしさ」。どうやって見分けるのか。
 まず、香りがよい、身のよくしまったもの、形がよい物(中くらい)、重い。
 それから、リンゴからでているツルが太いと、沢山栄養を吸収したと言うことなので美味しいとか。また、ツルがみずみずしい物がよく、しなびているのはダメ。また、ツルの周囲のくぼみが深いものが良いそうです。

 そして色ですが、基本的には赤くて濃い色が美味しいのですが、虫除けのために袋に入れて栽培した物の場合、綺麗な色になる反面、思ったほど美味しくないこともあるので、あまり色に頼りすぎてはダメだとか。袋に入っていない物は色が薄くても美味しいそうで、袋に入れないで栽培したリンゴは「サンつがる」「サンふじ」などと表示されていることとが多いそうです。多い、ということなので、必ずしもそうであることはありません。

 色について言えば、あともう一つ。
 りんごのお尻の地色です。緑(青)が少なく、黄色がかっているりんごが食べ頃で、しかしながら長持ちしないので早く食べた方が良いそうです。

4.冷やすと美味しい

 リンゴに含まれる糖は、ブドウ糖果糖
 このうち果糖にはα型とβ型があり、β型はα型の3倍も甘いのですが、このα型は温度が下がるとβ型に変化します。そのため冷やしますと、さらに甘くなる、ということだそうですそんなわけで、買ったリンゴはちゃんと冷蔵庫で冷やしましょう。

 ちなみに冷蔵庫と言えば、例えば半分に切って余ったリンゴ。
 放っておくと、切り口が褐色に変色するため、まずそうに見えます。そこで、薄い食塩水にりんごをつけて保存するのがベストだとか。こうすることで、リンゴのポリフェノール類を褐色に変化させる酸化酵素の働きを抑えるのだそうです。ただし、長く漬けすぎるとリンゴの栄養などが溶け出すので注意。

5.ぴかぴかのリンゴ

 スーパーに行くとそれはもう「ぴかぴか」に輝くリンゴを見かけることがあります。
 これは、「つがる」や「ジョナゴールド」によく見られるもので、人工的にワックスを塗っているわけではなく、熟度が進んだことにより、果皮に不飽和脂肪酸であるリノール酸、オレイン酸が分泌されて果皮の「ろう物質」(メリシン酸、ノナコサン)を溶かすことにより生じる現象で、果実が自然に果皮の保護をしている状態であるそうです。ですから、危険なものではありません。むしろリノール酸はビタミンFとして栄養価が高く、成人病の予防のため注目されているぐらいだとか。

 ただ、アメリカ産のリンゴはどうなんでしょうね?

6.リンゴの種類

 これは、青森りんご流通振興協会(株)http://www.jomon.ne.jp/~arrsk/ にある「リンゴの品種」を参照した方が早いですね。

7.リンゴの効能

 1日1個のリンゴは医者を遠ざけると言われ、近年、リンゴが体に良いことが具体的に判明してきていますが、どう体に良いのでしょうか。
 まず、リンゴの重要な成分であるペクチン。これは食物繊維の一種で、整腸作用があり下痢と便秘に効果的、さらに大腸ガンの防止にも効果があります。そして、コレステロールを減少させ、動脈硬化、糖尿病の予防にも効果的だとか。ちなみに、このペクチンを分解して出来るのがオリゴ糖。このオリゴ糖が、大腸内のビフィズス菌を増やす働きを持つそうです。

 そして、もしかするとこっちの方が重要かもしれない成分が亜鉛
 亜鉛不足は問題で、子供の場合は体が大きくならなかったり、大人の男性の場合は生殖機能にも問題が出るとか。この亜鉛は、果皮と果肉の間に多く含まれるそうです。そうなると気になるのが、残留農薬なのですが、現在、厚生労働省の定めた基準の10分の1以下だとか。殆ど気にすることはないみたいです。

8.リンゴ栽培の問題

 寒いところでもよく育つリンゴですが、何と言っても病気、害虫、台風は天敵。
 病気としてはモリニア病、赤星病、黒星病、リンゴ腐敗病、うどんこ病、腐乱病。害虫としてはガ類、アブラムシ類、ヨコバイ、ダニ類、カイガラムシ類があげられます。これの対策のために、農家はリンゴ1つ1つに袋をかけたり、「かや」で覆ったり、大変な労力を要します。そんな手塩にかけたリンゴも、台風の「風」によって収穫前に大量落下し、農家に大打撃を与えることがあります。本当にお疲れ様です。

9.世界のリンゴが見たい

 日本にいながらにして、世界のリンゴを見たい。そんな人にお勧めなのが、山形県西村山郡朝日町にある世界のりんご園。詳しくは、http://www12.ocn.ne.jp/~a-ecom/satellite/ringo.htm 面白そうな施設ですね。

 さあ、早速スーパーに行ってリンゴを買いましょう~。

【参考文献・ホームページ】
科学・178の大疑問 (Quark&高橋素子 著 講談社ブルーバックス)
マイクロソフトエンカルタ総合大百科2004
本居宣長記念館 http://www.norinagakinenkan.com/
三水アップルミュージアム http://www.apple-museum.gr.jp/museum/rekisi.html
木村りんご園 http://www.jomon.ne.jp/~kimura/index.html
りんごやさんのほーむぺーじ ~信州松本・大上果樹園~ http://www2u.biglobe.ne.jp/~oue/
リンゴ画像:NOM’s FOODS iLLUSTRATED

名古屋の食卓(1)赤味噌

●はじめに

 皆さんが名古屋の食べ物といわれて思い浮かべるものは何でしょうか?
 味噌煮込みや味噌カツを思い浮かべる方は多いでしょう。 赤味噌そのものを思い浮かべる方もいるでしょう。

 そんな、名古屋の食べ物に欠かせない赤味噌について紹介します。

●赤味噌色々

 名古屋で赤味噌といいましても『豆味噌』『八丁味噌』『赤だし』をひっくるめて言うことが多いですね。それぞれに特徴があるので使い分けが重要です。

▲豆味噌

 本来、『赤味噌』といえばこれのことです。 他の地域で食されている米味噌や麦味噌と違い、大豆に直接麹菌を付けて発酵させます。 他に塩しか加えないので、大豆100%になります。昔ながらの醸造法で作られるものは1年から1年半ほど寝かせます。 他の味噌よりうまみ成分が多いので、煮込んでもあまり風味が損なわれないのが特徴ですね。

 見た目ほど辛くないのも特徴かも(笑)。

▲八丁味噌

 この『八丁』とは地名でして、岡崎城の西、八丁の距離にある八丁村(現在の岡崎市八帖町)で作られる豆味噌を特に『八丁味噌』というのです。

 名前だけでなく、醸造期間が3年と長く風味が凝縮された感じがありますが調理にコツがいるのもあります。現在では『カクキュー八丁味噌』と『まるや八丁味噌』の2醸造元のみで作られたものを指します。有名店では欠かせない一品です。

▲赤だし

 ここでは、味噌汁のことではなく豆味噌に他の味噌をブレンドしたものを指します。マイルドで扱いやすいのが特徴であります。

●赤味噌を使った料理

 羅列すると、先にあげました味噌煮込み味噌カツどて煮味噌おでん。もちろん味噌汁と多彩(?)な活躍を見せてくれます。 香りよりもうまみに重点を置いた調理法が多いですね。もともとの風味がしっかりしているので、脂っこいものにも負けません。

▲意外と重宝します味噌ダレレシピ

 一人暮らしの私ですが、この味噌ダレが欠かせません。 揚げ物、和え物、炒め物と色々使えます。 市販のものもいいですが、もう少し味噌を強くしたほうが自分に合うので作ってます。


材料:豆味噌80g 昆布、かつおだし200cc 砂糖、みりん、日本酒 各大さじ2 ゴマ適量
1.酒、みりんを火にかけてアルコールを飛ばします。
2.豆味噌を加えて伸ばしていきます。
3.だし汁、砂糖を加えてさらに伸ばして味の調整をします。
  甘くしたいときは砂糖を加えてください。
4.最後にゴマを加えて出来上がり。
  後は、食材にかけて食べるだけ。

●終わりに

 1年ほど東京にいたときは赤味噌がなかなかなくて実家から送ってもらっていました。東京での味噌売り場は黄土色といった感じですが、名古屋は真っ黒といった感じです。それだけ、他の地域では食べる機会がないと思いますが、名古屋に来られた際には是非一度お召し上がりくださいませ。

 結構くせになるかもね。


参考HP
『名古屋の味』http://www.sakura3.net/food/aji.htm
『みそ健康づくり委員会MISO-ONLINE』http://www.miso.or.jp/
『イチビキ株式会社』http://www.ichibiki.co.jp/top.html
『サンジルシ醸造株式会社』http://www.san-j.co.jp/index.html
『桝塚味噌 合資会社野田味噌商店』http://www.masuzuka.co.jp/index.htm
『カクキュー八丁味噌 合資会社八丁味噌』http://www.hatcho-miso.co.jp/
『株式会社まるや八丁味噌』http://www.8miso.co.jp/

写真:裏辺所長撮影

豚肉の部位と豚の話

○はじめに

 前回の牛肉に引き続き、今回は「豚」です。このノリの雑学もどんどん投入していきたいですね。なお、今回は2部構成となっており、部位の話の他、「豚」本体に関する情報も加えています。

 豚の部位を絵で表すと、こんな感じになります。 これは、農水省の食肉小売品質基準で定められています。詳しくは最後で紹介しています。

 では、どの部位がどんな肉なのか、ご説明しましょう。

1.肩

 肩の肉は運動するところなので筋肉質で脂肪が少なく、堅い肉です。薄切りや角切りにして、長時間煮込み、シチューなどの煮込み料理に使用します。

2.肩ロース

 赤身の中に脂肪が粗い網状に混ざり、きめはやや粗くかため。しかし、コクのある濃厚な味するため、カレーや焼き豚、しょうが焼きなどに使用します。
 赤身と脂肪の境にあるすじを切ってから調理します。

3.ロース

 キメが細かく、風味があり、肉も柔らかくヒレと共に高級な部分。外縁の脂肪にうまみがあり、脂肪を取りすぎないように。
 豚カツ、すき焼き、ローストポーク、焼き豚、ロースハムなどに使用されます。ちなみに、ロースハムは日本オリジナル。本場ドイツではハムと言えば「モモのハム」だそうです。

4.ヒレ

 最上級の部位。ビタミンB1を多く含み、最もきめが細かく、脂肪は少なめで、柔らかい。豚カツなどの油料理に使用します。ただし、加熱しすぎるとパサつくそうです。

5.バラ

 濃厚な味が特徴の部位。骨付きの肉はスペアリブと呼ばれます。シチューや角煮として使用されます。

6.もも

 ロースとポークや、ボンレスハムとして使用される部位。キメが細かく、ヒレの次にビタミンB1を含んでいます。

7.外もも

 どんな料理にもオールマイティーに使用出来ます。ただ、色の濃い部分は薄切りにした方がいいとか。

おまけ:豚足(トンソク)

 牛肉同様、豚も様々な内臓を食べることがあります(主に煮込み料理で)。基本的には牛肉と同じですが、その他豚では「トンソク」があります。読んで字のごとく足です。コラーゲン、エラスチン等のタンパク質が多く含まれ長時間煮ると、ゼラチン質に変化し、やわらかくなります。通常は茹でた状態で売られているそうです。あえ物などにオススメらしいですけど・・・・。

○そもそも、豚とは何か?

 豚とは何でしょうか?・・・・なんと、イノシシの仲間なのです。イノシシが家畜化された姿が豚なのですが、ヨーロッパイノシシ、インドイノシシ、アジアイノシシの3種類が家畜化され、食用豚として飼育されていると言われています。約1万年年前に中国、それから遅れて中央アジア、ヨーロッパで家畜化されたそうです。といっても、当然の事ながらハッキリいつからと言うことはできません。長い年月をかけて、様々な地域で少しずつ家畜化への取り組みがされたことでしょうから。

 現在もっとも古く見つかった遺跡での豚の骨は中国南部、桂林郊外の甑皮岩洞穴から見つかったもの。その他、人類最古の農耕文化遺跡とされるトルクメニスタン南部のアナウ遺跡(紀元前4000年)、ヨーロッパではスイスの湖生民族が飼っていた泥炭豚(紀元前2800年頃)がもっとも古いとされています。この間、様々な野生動物を家畜にしようと悪戦苦闘したのでしょうが、面白いことに世界中で豚を家畜にすることになったんですね。

○何故豚を家畜にしなければいけなかったか?

  それでは、何で豚(イノシシ)を家畜にしなければいけなかったか。それは、農業と同様、人口増加に伴い食糧増産が必要になったからです。そして、イノシシは多産で、雑食で、小さい頃から飼育すれば人になつく。さらに、群れを作るから管理も簡単。こういう理由だったんですね。

 ちなみに、豚と言っても、東南アジアにいるようなイノシシとほとんど変わらないようなものから、我々が親しんでいるピンク色の豚や、鹿児島産で有名な黒豚など様々。400種類ほどいると言われます。ただ、多くの家畜化されたイノシシは長年人間に飼われているうちに、あのような姿になったみたいです。天敵がいるかいないかで、やはり色々退化するみたいですね。ちなみにイノシシと豚の大きな違いですが、「豚の鼻はイノシシのものより短い」だそうです。

 ちなみに余談。農業を人間がするようになったのは、安定して食料を手に入れることが出来るから、と言う人がいますが、あれはウソです。家畜はともかく、農業は天候に大きく左右され、不作の年も多く出てきます。しかし、そのリスクを冒してでも食糧を増産しなくてはいけなくなったため、やむを得ず長い年月をかけて、麦や稲を植えるようになったのです。

 現在、豚は3億8000万頭ほどを中国で、7300万頭ほどを旧ソ連地域、6000万頭をアメリカで飼育。これにドイツ、ポーランド、スペイン、メキシコ、オランダ、ベトナム、フランス、ルーマニア、日本(1010万頭)のと続きます。そして、世界全体では8億6900万頭以上といわれています。さすが中国。豚の頭数も世界一ですね。

○ハム・ベーコン・ソーセージ

 さて、豚と言えばハム・ベーコン・ソーセージの3種が加工食肉の代表です。
 当然、加工の工程や、また材料も違うので紹介しましょう。

 ハムは豚肉を塩漬けしたのち、燻煙(くんえん=スモーク)、湯煮(ゆに=スチーム)したものでです。上でも述べましたが、本場ヨーロッパでは「モモ」の肉を使ったものがハム。ロースを使った日本のハムは、あくまで日本固有のものです。1872(明治5)年に長崎でハムの製造がはじめられています。ただ、当時はモモのハム。それが、今のロースになったのは昭和の初め。中華街では高級品であるバラやショルダーのみ使用されたため、ロースが余ってしまった。そこで、これをハムにしてしまおう、と言うのが始まりだそうです。同時に、モモのハムは高級品でしたが、ロースを使用することにより、ハムは安価な品物として出回るようになります。


 ソーセージは豚だけでなく、牛・ヒツジなどの肉を塩漬け後、ひき肉にして調味し、腸などの袋につめて湯煮や燻煙、乾燥などの処理をしたものです。ちなみに、フランクウィンナーというのがありますが、これら3つは太さで区別。JAS規定では、ウインナーは、太さ20mm以下、フランクは、38mm以下、それ以上の太さが、ソーセージとされています。

 ベーコンは、ハムと途中までは同じ過程で製造。しかし、最後のスチームが、ベーコンでは「乾燥」という工程になります。

 では、今回はここまで。さらに詳しく知りたい方は
 サイボクぶた博物館http://www.saiboku.co.jp/museum/をお勧めします。今回の参考の1つにもさせて頂きました。

 また、その他の参考文献はいつもながらMicrosoft Encarta Encyclopedia 2001を使用しています。

○ちなみに、部位というものが出来た理由

 最後に、なぜロースとかもモモか、そういう統一基準が完成したかを紹介しておきます。

 従来は小売店によって食肉の部位別の名称がまちまちだったが、昭和52年に食肉小売品質基準が定められ、これに基づいて牛肉および豚肉の部位表示が統一された。この基準では特に定める場合を除き、(社)日本食肉格付協会の「牛部分肉取引規格」および「豚部分肉取引規格」に定める名称を使用する。

 牛肉については、かた、かたロース、リブロース、サーロイン、ヒレ、ばら、もも、そともも、らんぷの9部位、豚肉については、かた、かたロース、ロース、ばら、もも、そともも、ヒレの7部位が定められている。牛、豚ともに、こま切れ(切り落とし)、ひき肉については部位表示をしなくてもよいとされている。
鶏肉は食鶏小売規格によって解体品小売品目30品目について形態や名称を定めている。

お肉の部位、正確に言えますか?(牛肉編)

○カルビってどこなのよ?

牛の部位を絵で表すと、こんな感じになります。では、どの部位がどんな肉なのがご説明しましょう。

1.肩

 肩の肉は運動するところなので筋肉質で脂肪が少なく、堅い肉です。ひき肉、煮込み料理に使用します。

2.肩ロース

 一方こちらは霜降り肉としてお馴染み。適度に脂肪が入り、柔らかい赤い肉。しゃぶしゃぶ、すき焼きに使用するのはこの肉です。

3.リブロース

 これも霜降り状の脂肪の多い肉。風味があり、肉も柔らかく高級な肉です。厚切りにしてステーキ、かたまり肉でローストビーフ、それから薄く切ってしゃぶしゃぶ、すき焼きにも使用されます。ちなみに、ロースは色が真珠色に近い方が高級とされます。

4.バラ

 バラ肉は、肋骨の肩バラ、腹の内側の「ともバラ」の2種類が存在。赤身と脂肪がそうになり、その濃厚な風味から焼き肉、シチューに使用されます。

5.ヒレ

 ヒレ肉は最も柔らかい肉。脂肪が少なくきめ細かな肉で美味しいのですが、僅かしか取れないため、肉牛の中では最高級の部位。ご存じ、ステーキに使用されます。ただし、甘みは少なめです。本当に美味しいかどうかは・・・ちょっと疑問???

6.サーロイン

 サーロインステーキと反射的に答えてしまうほど、ステーキ用として有名な肉。ヒレの次に極上で、適度な霜降り、そして柔らかい。その他、しゃぶしゃぶにも使用できます。

7.ランプ

 お尻に近い部分の肉。ロースのように柔らかい肉で、用途が広く、しかし安価なため色々使用されます。ステーキ、すき焼き等々。

8.前ずね・ともずね

 場所を見れば解ると思いますが、最も運動する場所のため、脂肪が少なく筋が多い、いずれも堅い肉。しかし、じっくり煮込むとうまみが出るため、煮込み料理やダシに使用されます。

9.内もも・外もも

 両方とも脂肪の少ない肉。前者は、きめは粗いですが、柔らかいためローストビーフに使用されます。後者はきめが粗く堅いため、薄切りにしてすき焼きにしたり、角切りにしてシチューに入れます。

10.ツラミ

 ここからは焼き肉。図では書きませんでしたが、これは頭の肉です。味が濃く安価です。

11,カルビ

 韓国語で、「アバラ骨の間の肉」のこと。骨付きカルビとして有名ですし、セブン・イレブンでもお馴染みの弁当の素材。

12.タン

 舌のことですね。焼き肉ではポピュラー。根元は刺身として、舌先は焼いて食べるのが一般的。語源は英語で舌を表す「tongue(タンギュー)」。コリコリと堅めですね。

13.レバー

  はい、ご存じ肝臓のこと。自然界において、肉食動物はまずここから食べるそうです。つまり、ここが栄養満点と言うこと。鉄分が多いため、貧血大作にも有効。ただし、味と食感にクセがあるので嫌いな人も多いですね。

14.ハツ

 心臓のことです。刺身として食べることが出来ます。また、焼いて食べても美味しいらしいです。食感はコリコリ。語源は英語の心臓、ハート。で、本当にこんなところ食べるの・・?

15.タケ

 動脈の部分らしい・・・。もう、いい。そんなところまで食うのか。その他、腎臓=マメ、肺=プップギ(フワ)、胸腺・膵臓=シビレ、食道=ネクタイ・ノドスジ、直腸=テッポウ、小腸=ヒモなどなど・・・。

 後半部分は焼き肉用の部位になりましたが、しかし全部食べるのですねえ。私には信じられません。書きながらだんだん気持ち悪くなってきたので、今回はこれで終了。次回は、豚・鶏・鴨をお届けします。

うどん・そば・そうめんの話

○はじめに

 久し振りに、こんなネタを用意してみました。麺類では前回、ラーメンを取り上げましたが、今回は「うどん」・「そば」のお話です。普段何気なく食べている物の歴史を探ってみるのも、時には面白い物です。が、参考文献を色々当たっていると・・・うぅん、結構複雑だなぁ・・・。今回は歴史と、讃岐うどん、、きしめん、わんこそば、五色そうめんについてお届けします。半ば冗談で始めた企画ですが、なかなか書くのが難しいものでした。奥が深いですね。

○まずは麺類の誕生から

 まず麺類のルーツ。古代中国には小麦粉食品「餅(もち)」というのがあって、後漢の末期に小麦粉を練って煮て食べる湯餅(タンピン)が登場。これのヴァリエーションの一つとして麺類が誕生したといわれています。三国志の時代から六朝(中国・南朝)時代には、練り粉を手で伸ばして作る麺が食べられ、さらに唐の時代には麺棒で生地をのばし、包丁で切る「切り麺」が登場し、宋の時代には大体、今の中国で食べられる麺が大成されたと言われています。

 ちなみに、中国では華北地方で小麦の栽培が盛んでした。ところが、これは歴史研究所をみて欲しいのですが、宋は異民族王朝金の侵攻により、江南地域に遷都します。華北を失ったわけですから、小麦があまり手に入らなくなった、でも食べたい・・・ゆえに、江南地域で多く生産されていた米を使い、「ビーフン」が誕生しました。

 このビーフンに代表される米の麺。その後中国人達が東南アジアに進出するに従い、かの地域でも食べられるようになりました。

 ちなみに、中国の麺をマルコ・ポーロがイタリアに伝えて、それがパスタになったという有名な話があるけど、俗説にすぎないそうです。

○「うどん」「そば」と「そうめん」の成立

 色々調べてみましたが、実を言うとよく解らない。みんな、曖昧に書いてくれちゃっていますが、おそらく次のような感じです。

 奈良時代に、唐から小麦粉を練って作った、食べ物がやってきます。
 これが、15世紀末あたりから、今のような切り麺の形に変形し始め、少なくとも室町末期、遅くても江戸初期になって、「うどん」「そうめん」が成立。
 一方の蕎麦も、ソバ粉から作る以外は、似たような歴史をたどっています。奈良時代~室町時代には「そばがき」「そばかゆ」の形で食べていました。
 なお、ソバは奈良時代以前からもあったようです。

 *そばがき・・・・そば粉を深い器に入れて、熱湯を注ぎながら激しくかき混ぜる。よく煮立ったものを刻んで、ネギ・おろし大根といった薬味と醤油をつけて食べる即席料理。夜食向きらしい。でも、夜食にしている人いるの??

 結局、どうやらはっきりとしたことは解っていないみたいですが、つまり日本では、小麦粉・そば粉を練って水で溶かして食べていた物を、室町時代末期から、切って麺の形にして食べ始めた。ということです。下に、とりあえず詳しいことを書いておきます。

 「とりあえず」というのは、本によって異なった記述が多いからです。切られた形の、今の蕎麦については、室町時代からお寺で切って食べたという説と、江戸時代初期に朝鮮の僧天珍が伝えてからとする説もあります。

 ちなみに蕎麦。明治中期から機械で生産されるようになりました。おそらく、うどんもそうめんも同じように機械化されて作られるようになりました。現在、手で作るものは「手打ちうどん」「手打ち蕎麦」などとして売り出しています。

 もう一つ、面白い話題としては、「うどん」も「そば」も江戸時代から普及し始めましたが、傾向として「うどん」が讃岐うどんからも解るように関西とその周辺で普及。一方、「そば」は、信州そば、深大寺そばでわかるように、特に江戸と関東で普及します。これは、江戸の人達が「そば」の方が「うどん」より高級だ!と考えたからだと言われていますが・・さてさて・・。

 江戸っ子は、濃い醤油汁にちょっと蕎麦をつけて食べるのが粋だったようです。

 ちなみに、京都ではニシンそば、兵庫では出石そばがあります。もちろん、「そば」は関西でも食されてはいます。

○一応、詳しく書くだけは書いてみます

 日本に「うどん」が伝えられたのは、讃岐国(高松県)の伝承では、遣唐使として唐に渡ったお坊さん・空海が伝えたと言われています。空海は長安の青龍寺で密教の修行を積みましたが、この寺を始め、各寺には麺料理専門の僧がいたそうです。

 ところが、実際には日本にはそれより100年も早く、奈良時代に唐菓子の一種である索餅(さくぺい)はくたく混沌(こんとん)が伝えられていたそうです。 このうち・・・・。
  ・索餅は後に麦索(むぎなわ)とも言われるようになり、「そうめん」や「五島うどん」の源流。
     これは麦縄とも表記するようで、縄状の太い麺だったようです(が、よくは解っていない)
     なお、奈良時代はそれを万葉集にも詠まれた、奈良の三輪山にある大神神社に奉納されていました。
     もちろん、奈良時代は団子状のものでは?と、私は推測します。
          (この関係で、現在も三輪そうめんが生産され、各地で売られていますね)。
  ・はくたくは山梨県の「ほうとう」の先祖。きしめんをさらに一回り大きくしたようなコシのある麺ですね。
  ・こんとんは餡入りの団子で、形はワンタンに似ていたらしいですが、通説ではこれが一般的な「うどん」になったんだって!。

 でも、実際には索餅・麦索と混じり合いながら、「そうめん」と「うどん」ができあがったみたいですね。詳しく述べると・・

 ・麦索は普及していく間に
   一、「うどん・そば」のように、こねた小麦粉(そば粉)を、平たく伸ばして切る。
      (なお、「うどん」は、熱くして食べる物を「熱麦」、冷たくして食べるのを「冷麦」といいます。)
   二、練った小麦をひも状に伸ばし、油をつけた手で、ひきのばして切る「そうめん」

 と、なったということです。解るようで解らない解説ですね。しかし、これが「うどん」「そうめん」を分ける、最大の違いです。

 ちなみに、うどんは、「饂飩」と書きます。語源は、間違いなく「混沌(こんとん)」から来ているようです。また、そうめんは、索餅から索麺、そして「素麺(そうめん)」へと表記が変わっていったようです。

 最後に余談。ニ八そば、という名前を聞いたことありませんか?そばの代表的な製法なのですが、江戸時代中期、そば粉8に、つなぎの小麦粉を2の割合でうったところからきたといわれています。

○うどんと言えば、讃岐うどん

 以上の堅いお話では、面白くないので、やはり、こんな四方山話もお届け。

 うどんと言えば、讃岐うどんがあまりに有名。一体、なんで讃岐でうどんなのか。

 うどん王国さぬき発「麺の博物館」http://www.pref.kagawa.jp/menpaku/には、以下のようにあります。

  江戸の中期(1713年)に出版された『和漢三才図絵』に「讃州丸亀の産を上とす」とあるように、讃岐の国では、古くから良質の小麦を産していました。また、昭和に入ってからも、香川県産の麦は、兵庫県産や岡山県産のものと並んで「三県麦」と称されるなど、全国的に高い評価を得ていました。これは、温暖で雨が少ないといった気候条件や土壌などが小麦の栽培に適していたからで、この質の良い小麦から、香りがよく、適度な粘りと弾力があり、しかも口当たりの良い「うどん」がつくられたわけです。

 瀬戸内海沿岸では、古くから塩づくりが盛んで、19世紀のはじめには、全国で生産される塩の約90%を、十州塩田(讃岐をはじめとする瀬戸内海沿岸の塩田)産が占めていました。この十州塩田のなかでも、讃岐でつくられる塩は、赤穂(兵庫県)の塩と並んで特に良質とされていましたが、これは、海岸一帯の砂浜が長くて、遠浅で、潮の干満の差が大きく、さらに、一年を通じて雨が少ないなど、気候風土が塩づくりに最適であったからです。そして、この豊富で質の良い“塩”が「うどんづくり」の材料の一つになったのです。

 (所長注:うどんは、食塩を溶かした水で、よく小麦粉をこねます)

 ちなみに、世界の麺の分類は、やはり同サイトのhttp://www.pref.kagawa.jp/menpaku/world/top_menu_wr.htmlにあります。これも併せて参照されると良いでしょう。所長、手抜き・・。

○讃岐うどんを食す

 さて、讃岐うどんの本場、香川県のお店では、他県と注文の仕方が異なることでも有名。それは、セルフ方式という店で、凄い店になると、うどんの麺だけ与えられて、お客が自分でうどんを作ることもあります。ねぎまで畑から抜かされることもあるとか。一見変な感じですが、お客の好きなように具が盛りつけ可能で、慣れてしまえば便利なシステム化も知れません。

 ちなみに、讃岐うどんの庄「かな泉」http://www.kanaizumi.co.jp/の場合・・・

  一、まず、店内に入って、うどんの大、または小の入った丼を取る。
         (なぜか、そばも置いてある←自分の店なのに、こんな事書いている)

  二、中のうどんをテボ(湯切りかご)で湯の中に入れ、自分で温め、 元の丼の中に戻す。

  三、お気に入りの天ぷら、かき揚げ、きつねあげ等をのせる。

  四、いなり寿司、おにぎり、おでん等を取る。

  五、レジでお金を払う。

  六、その後、ダシを入れ、好みで生姜・カツオ節を自由にのせて 出来上がり。

くどいようですが、これは開くまで一例。お店には行ったら、他の人がどのようにやっているか、観察するのが基本だそうです。

○きしめんの元になったのは??

 名古屋名物、「きしめん」。

  今でこそ、きしめんは平らな面ですが、初めは碁石のような丸い麺。そこで、棊子(=碁石)めんといわれた。呼び名だけがそのまま残ったようです。

 この、棊子麺。水で練った小麦粉を薄くのばし、輪切りにした竹で押さえて丸く切り抜き、そして茹でる。これにきなこをつけて食べたそうです。この辺に、昔の「うどん」の原型をみられますね。

 また江戸初期、尾張藩の藩主がキジの肉をうどんにいれさせたところ、味が気にいり、「きじめん」と命名して以来、作り方が広まったという俗説もあるようです。それが、その後、だんだんとキジの肉の代わりに油揚げをつかうようになり、庶民的な食べ物になっとか。尾張との繋がりでは、こっちの説の方が説得力あるような気もします。

(写真; Microsoft(R) Encarta(R) Encyclopedia 2001より)

○わんこそばって何?

 うどんでは、讃岐うどんが有名ですが、蕎麦では信州そば、東京の深大寺そばなど色々ありますね。ここでは、盛岡の郷土料理・「わんこそば」についてご説明。

 東北地方は気候が厳しく、そのため土地が痩せていました。ゆえに、古来から稲の代用品として栽培しやすかったソバの栽培が盛んに行われました。そして、やはり切り麺が登場する江戸時代。盛岡藩主南部利直が江戸にでかけるとき、家臣たちは名物のそばを秀衡椀とよばれる藤原秀衡(1122~87年 平安末期の奥州藤原氏3代目)にちなんだ塗りの椀にもってさしあげたのが始まり、といわれます。

 これが、客にそばを沢山食べてもらおうと、次々蕎麦を器の中に盛るような「おもてなし料理」になり、今では1杯食べると、お給仕さんが、すぐに次の蕎麦を持ってくる形式になりました。もちろん、これに便乗して行われるマスコミの大食い選手権は異常ですが。

 ちなみに、「わんこ」とは、「お椀」のこと。「こ」とは、東北地方の方言で、名詞の後によくつけるそうです。

 ちなみに盛岡。蕎麦の他にも、「じゃじゃ麺」「盛岡冷麺」といった、盛岡独特にアレンジされた麺も存在します。 盛岡冷麺は、堅いコシが特徴。さらに、こってりとしたスープに、キムチまでのってくる、そう、朝鮮伝来の冷麺です。昭和28年誕生で、新しいもの。

 詳しく知りたい方は、もりおかの観光 http://www.nnet.ne.jp/~morikan/title.html をご覧ください。宿泊予約も可能。

○伊予・松山の五色そうめん

 このそうめんには、松山在住中、私もお世話になりました。愛媛県松山市独特のそうめんです。と言っても、基本的には普通のそうめん。ただし、石鎚山の名水で仕上げられ、さらに「五色」で解るようにカラフルで美しい。 近松門左衛門も、わざわざ四国の豪商から取り寄せたほど「味はもちろん、麺の美しさよ!」みたいな事も言っています。 さらに正岡子規、弟子の長塚節も、絶賛。

 歴史は1635年。伊勢桑名藩主の松平定行が国替えで松山に転勤になりました。この時の従者・長門屋市兵衛が、松山でそうめんの商売を始めます。それから約90年後。長門屋の8代目の娘は、ある日お参りに行った時に、偶然まとわりついてきた5色の色をみて、親父にそうめんに色が付けられないか提案。

 苦心の末、赤色は紅花から、黄色はクチナシ、濃紺は高菜、緑はクチナシと高菜のミックスで色を付けることに成功。8代将軍吉宗に絶賛され、さらに朝廷でも絶賛。これ以後、松山特産として大ヒットすることになりました。

参考文献・HP
歴史学事典 2 からだとくらし (樺山紘一 責任編集  弘文堂)
世界原色百科事典 (小学館 なお昭和40年の本)
つい誰かに話したくなる雑学の本 (日本社 編集 講談社+α文庫)
Microsoft(R) Encarta(R) Encyclopedia 2001

うどん王国さぬき発「麺の博物館」http://www.pref.kagawa.jp/menpaku/
讃岐うどんの庄「かな泉」http://www.kanaizumi.co.jp/
もりおかの観光 http://www.nnet.ne.jp/~morikan/title.html
五色そうめん森川http://www.goshiki-soumen.co.jp  

ラーメンのお話

○はじめに

 ラーメン。実はこれ、中華料理ではないことをご存じの方、いらっしゃいます?うすうす感じている人は結構おありだと思います。ところが、このラーメンの歴史について知っている人は余りいらっしゃらない。というより、実際のところよく解っていないのです。よく解らないが、いつの間にか普及しちゃった、というような感じなのですね。

 まずラーメンの語源ですが、中国の麺類の一種である拉麺(手で引き延ばして作る麺)であるといわれていますが、いやそうで無いという人もいます。もう既に、この時点で詳細不明となっています。恐るべし、ラーメン・・・。

 では、ラーメンがいつ頃から登場したのか。1665年、水戸黄門こと徳川光圀が、中国より招いた儒学者・朱舜水の作った「汁そば」を食べたといいます。これをラーメンだ!と言う人もいますし、違うという人もいます。残念ながら、今の日本のラーメンでは無いでしょう。前述のように、日本的なラーメンは中国に存在しなかったのですから。

 それに、これは普及しませんでした。私の予想では、黄門様のお口に合わなかったか、彼が食に興味がなかったかどちらじゃ無いかと思うのですが・・。

 それで、今のラーメンが登場するのが1884年・・かもしれないらしい。当時の函館新聞によると、函館の「養和軒」という店が、広告欄に「南京そば」発売と宣伝してあった。南京とは、中国の南京からきていますね。でも、これが今のラーメンかどうかは解らないようです。広告だけじゃ判断できませんよねえ。

 しかし、確実に解るのは明治中期頃から横浜で次々と「南京そば」の屋台が開業した頃からのようです。屋台で気軽に食べられる中国風そばと言ったところだったのでしょうね。そして1910年、浅草の「来来軒」が、店舗の中でラーメンを発売しました。当時は人気だったけど、今はないとのこと。それから、札幌ラーメンは1923年、「竹家食堂」の創業で始まります。ただし、これは味噌ラーメンではなく、醤油ラーメンがメインだったとか。この竹家食堂は、神戸市で「竹家」として続いているとか。のれん分けですかね。なぜ神戸市に移転しているのかは私は解らない。

 また、1925年には喜多方で「源来軒」が(これが喜多方ラーメンの最初)、そして1937年には九州で「南京千両」が開店。こちらは屋台で、しかも今も屋台で続いているとか。南京千両、すなわち南京占領とかけた名前ですね。1937年ですし。で、この頃から戦中・戦後すぐにかけて京都や高山や和歌山、尾道でラーメン店が次々と開業。いずれも有名なラーメンどころですね。

 そして、これは有名な話ですが、1955年に札幌の「味の三平」で、大宮守人氏が味噌ラーメンを開発し、これが今の札幌ラーメンにつながります。開発エピソードがよくテレビで特集されますね。

 また、同じ年に、中野「大勝軒」にて、山岸一雄氏がつけ麺を開発します。その後、東池袋大勝軒で「もりそば」と言う名で大ヒットし、その後数十年にも渡って行列を維持しているとか。

○インスタントラーメンの誕生

 で、1953年に初のインスタントラーメン「日清チキンラーメン」が発売されます。日清食品会長の安藤百福氏による開発です。革命的!お湯を入れたら2分。また、今まで、「支那そば」とか「中華そば」と言われていたラーメンですが、この時に「ラーメン」という呼称が全国的に広まった。では、なんで「日清」はラーメンという名称を使ったのだろう?

 さらに1971年、日清食品からカップヌードル発売。これも安藤氏による開発品。すごいなあ。そして、92年には日清より「ラ王」が発売。こちらは、「生タイプ麺」という種類だそうです。

 現在、ラーメンはさらに進化中。89年に袋入りの麺、すなわち家で鍋に入れて真面目に作る麺が、カップ麺に抜かれたのですが、今、そのカップ麺の味を、限りなくラーメンの達人の味に近づけようと開発競争が起こっているそうです。カップ麺というと、どうしても安物、代用品みたいな印象ですが、それが払拭される日が来るのか。21世紀、いよいよカップ麺の時代になるのでしょうか!ゴーゴー、ラーメン!

 なお、ラーメンについて研究し、さらに様々な味を食したい方は、新横浜駅近くにある、ラーメン博物館に行かれるといいでしょう。横浜の町並みを再現してあったりする、一大テーマパーク兼ラーメン8店が貴方を迎えます。

住所
〒222-0033 神奈川県横浜市港北区新横浜2-14-21 TEL:045(471)0503(代表)

営業時間
11:00~23:00(入場は22:00まで また、基本的に無休)
日曜祭日は10:30に開館。
ラストオーダー21:45より(ラーメン店により異なる)

入場料 おとな300円 こども(小学生)100円 小学生以下は無料

交通
電車の場合 新横浜駅(JR東海道新幹線・JR横浜線、横浜市営地下鉄線)より徒歩5分
横浜市営地下鉄8番出口より徒歩2分 (執筆担当:裏辺金好)