歴史の雑学

T字路の「T」は、アルファベットの「ティー」ではない

道路が三方向に別れる三叉路の一種で、アルファベットのTに似ていることからT字路と呼ばれていますが、本当はT字路ではありません。

今回の雑学では、間違い探しのようなT字路の正式名称についてご紹介します。

T字路の正式名称

三叉路のうち、道が直角に交わるのがT字路です。T字路という言葉は江戸時代に既に生まれていました。しかし当然ながらアルファベットの「T」を使ってはいません。漢字の「丁(てい)」の字を使い「丁字路(ていじろ)」と呼ばれていました。

現在でも法律上の正式な名称は「丁字路」であり、「T字路」はマスコミによって広く普及してしまった言葉になるのです。

本来「丁」には道を表す意味が含まれています。そのため「町」や「街」などに丁が含まれているのです。町の「田」の部分は、区切られて整理された土地を意味しています。

ブリヂストンの社名の由来

タイヤメーカーであるブリヂストンは、今やミシュランを抜いて世界トップのシェア率を誇る、日本の大企業です。

今回の雑学では、そんなブリヂストンの社名由来についてご紹介します。

ブリヂストンの沿革

本来は日本足袋株式会社から独立分社化し、1931年にタイヤ部門として「日本タイヤ株式会社」を設立。その後20年の時を経て、1951年に「ブリヂストンタイヤ株式会社」に社名を変更しました。

現在では社員数14万人超、生産工場が25カ国に178箇所もあるマンモス企業になったブリヂストンですが、なぜブリヂストンという名前にしたのでしょうか。

社名の由来

ブリヂストンの創業者は石橋正二郎氏。英表記では「BRIDGESTONE」と表記します。勘の良い方ならお分かりかと思いますが、「Bridge(橋)」+「Stone(石)」で石橋となるのです。

ストーンブリッヂでは語呂が悪いとのことで、語感が良いブリッヂストーン=ブリヂストンになったというわけです。

ブリヂストンの社名の由来

タイヤメーカーであるブリヂストンは、今やミシュランを抜いて世界トップのシェア率を誇る、日本の大企業です。

今回の雑学では、そんなブリヂストンの社名由来についてご紹介します。

ブリヂストンの沿革

本来は日本足袋株式会社から独立分社化し、1931年にタイヤ部門として「日本タイヤ株式会社」を設立。その後20年の時を経て、1951年に「ブリヂストンタイヤ株式会社」に社名を変更しました。

現在では社員数14万人超、生産工場が25カ国に178箇所もあるマンモス企業になったブリヂストンですが、なぜブリヂストンという名前にしたのでしょうか。

社名の由来

ブリヂストンの創業者は石橋正二郎氏。英表記では「BRIDGESTONE」と表記します。勘の良い方ならお分かりかと思いますが、「Bridge(橋)」+「Stone(石)」で石橋となるのです。

ストーンブリッヂでは語呂が悪いとのことで、語感が良いブリッヂストーン=ブリヂストンになったというわけです。

フルマラソンの距離が42.195kmと中途半端な理由

フルマラソン距離が現在の42.195kmに正式に決まったのは、第8回のオリンピックの事です。それまでは概ね40kmとされていました。ではなぜ195mの距離が加算されたのでしょうか。

今回の雑学では、フルマラソンの距離が決まったワガママな理由についてご紹介します。

一人の女声のワガママで距離が変わった

近代オリンピックが開催された初期の頃には正確な距離の規定はなく、概ね40kmとされており、第1回大会では36.75km、第2回大会では40.26kmとおよそ4kmもの差があったのです。

しかしこれではレースの記録がはっきりと比較できません。そこで第4回大会の距離である42.195kmを正式な距離として、第8回大会以降はこの距離でレースが行われています。ではなぜ第4回大会の時は、こんな中途半端な距離になってしまったのでしょうか。

これには諸説ありますが、有力な説として、当時の女王が「自分の部屋の窓からスタートが見たい」というワガママな発言により、予定していた26マイル(42km)に、自室までの距離385ヤード(195m)を足した結果と言われています。

なぜ、そんな中途半端な距離を、今後正式に採用していこうとなったのかは、明らかではありません。

42.195kmは正確に測定できるのか

現在では3台の自転車によって42.195kmを実際に走行し、正確な距離を測定しています。誤差についてのルールも明確に決められており、42.195kmよりも短い距離であれば、例外なく記録は無効となります。逆に42.195kmよりも長い場合は誤差0.1%まで、つまり42.195mまでの誤差が許されているのです。

おつまみの定番「柿の種」はちょっとしたうっかりから生まれた

新潟県発祥で、その生産量も新潟県が90%を占める、おつまみの定番「柿の種」。今では海外進出も果たしている大ヒット商品はどのようにして生まれたのでしょうか。

今回の雑学では、柿の種の誕生についてご紹介します。

おっちょこちょいな誕生秘話

1919年に創業した柿の種の元祖「浪花屋(なにわや)」。なぜ新潟県なのに「浪花」なのかというと、大阪で作られていたアラレ作りの技術を取り入れて販売するようになったことから付けられました。

いつものように小判型の金型を使ってアラレを製造していたところ、うっかりとその金型を踏んでしまったのです。試しに三日月のように変形してしまった金型のままアラレを作ってみると、常連のお客さんに「柿の種に似ている」と言われ、評判も上々だったのです。これが、元祖「浪花屋」の柿の種の誕生です。

ちなみに柿の種にピーナッツが入っている理由は諸説あり、どれも決定的な確証にはいたりません。

アイスクリームはもともと薬として食べられていた?

子どもから大人まで、嫌いな人はいないはずのアイスクリーム。その発祥はデザートではなく、や栄養食品として食べられていたといいます。

今回の雑学では、アイスクリームの発祥についてご紹介します。

アイスクリームの歴史

アイスクリームが開発された当時は、現代のように生クリームなどが練りこまれているものではなく、天然の氷や雪に蜜や果汁などのシロップをかけて食べたのが初まりとされています。

当時は冬から氷を保管しておき、戦場にいる兵士の疲労回復薬として振る舞われていたのです。現在のようなアイスクリーム作りの技術はありませんでしたので、かき氷に近いアイスクリームだったようです。

これが後にデザートとして食べられるようになったのは、16世紀から17世紀といわれています。

アメリカの偉大な発明家は、とっても商売下手だった

ウォルター・ハントは19世紀を代表するアメリカの発明家の一人です。彼は安全ピンやミシンなど、数々の後世に残る発明をしてきました。しかしそのヒラメキの鋭さとは相反し、発明後の商品を活かす手法は全くもって鋭いとは言い難いものでした。

安全ピンの開発秘話

現代では当たり前のように使われている「安全ピン」ですが、その起源は古く、古代ローマ時代から「フィブラ」という名称で安全ピンの原点になるようなピンが発案されていました。

ウォルター・ハントの発明した安全ピンは、針金をループ状にして、しっかりと固定できるようにしたものでした。この発明をなんとものの3時間程で完成させたウォルターは、たった15ドルの借金を返済するためだけに、この特許権をW R Grace and Coという会社に400ドルで売却してしまったのです。

400ドルを現在の価値に変換すると、おおよそ1万ドル(約100万円)と言われていますので、15ドルの借金は現在の価値で375ドル(4万円弱)ということになります。たった4万円の借金を返したいがために、その後の安全ピンの使用料などの様々な収益は、1ドル足りともウォルターの懐に入ってくることはなかったのです。

バスケットボールは一人の男の試行錯誤の末に生まれた

スポーツとはどれも自然的に生み出されるものが多く、発祥も様々な国の説がある場合が多いです。例えばゴルフの場合、モグラの穴を利用した球遊びから発展を遂げたと言われていますが、その発祥地はスコットランド、オランダ、中国など様々な説があります。しかしバスケットボールは発祥の時点から独特なスポーツと言えるのです。

バスケットボールの歴史

バスケットボールはカナダ出身のアメリカ人「ジェームズ・ネイスミス」によって考案されました。たった一人の人物によって作られることは、スポーツの発祥としては非常に稀なケースなのです。

ジェームズは大学を卒業後に神学校へ進み、そこで体育講師を務めていました。また、同時にスプリングフィールド大学へ学生、兼非常勤体育講師として通っていました。この大学の授業の課題として「屋内競技の考案」を与えられました。その結果生み出されたスポーツが、現在のバスケットボールの原形となるものでした。

手作り感満載な用具

当時はボールも作られていなかったため、ゲームにはサッカーボールが使われていました。そしてゴールに使われていたのは桃を収穫する際に使われていた籠(かご)で、ゴールが決まるたびに籠からボールを取り出す必要がありました。籠を使うことから、そのままの意味で「バスケット(籠)ボール(球)」と名付けられたのです。

またゴール裏の四角いバックボードも設置されてはおらず、体育館の二階の手すりなどに直接くくりつけられていました。バスケットボールが浸透するに連れ、観客が体育館上の手すりから足や手を伸ばして妨害することが多発するようになったため、それをガードする目的でバックボードが付けられるようになったのです。

このように、試行錯誤が重ねられて現在のルール、形へと発展を遂げましたが、元々はレクリエーションから発展してスポーツになったのではなく、始めからスポーツを作り出す目的で作られたスポーツというのは非常に稀なのです。

フリーマーケットの意味は「自由な市場」ではない

日曜日の公園、様々な品物を持ち寄ってバザーを開き、ワイワイと賑わいを見せる。そんな光景が日本でも度々見られます。この時持ち寄る商品は家庭にある不要なもので、その分値段も驚くほど安いものです。これらのバザーの事を「フリーマーケット」と呼びますが、多くの方はこの売買方法から「自由な市場」と思っている方が多いのではないでしょうか。

自由だけど自由じゃない

「蚤(のみ)の市」という言葉を聞いたことがあると思います。蚤の市と聞くと、出品されている商品は骨董品などの印象が強いですが、そんな事はありません。「フリーマーケット」という言葉を日本語に直訳すると「蚤の市」となるのです。つまりフリーマーケットのフリーとは、「Free(自由)」ではなく「Flea(蚤)」という意味なのです。

フリーマーケットは海外から伝来された文化の一つで、海外では主に古着がメインの商品として扱われることが多かったのです。この事から、蚤が湧くほど古い衣類を扱う市場として、フリーマーケットと呼ばれるようになりました。これがいつからかマーケットの規模が大きくなり、古いものから新品未使用品まで、幅広いジャンルの商品が扱われるようになったというワケです。

「包丁」と「まな板」の語源

料理を作る際には絶対に必要なものといえば、包丁まな板でしょう。今では当たり前のように使用している調理器具ですが、その名前の由来について学びましょう。

包丁の語源

包丁は中国から日本へと伝わった器具です。包丁を当時の言葉で書くと「庖丁」と書きます。「庖」とは中国語で、料理人の身分を表す言葉でした。そして「丁」とは、なんと人名だったのです。

丁さんは中国で有名な料理人でした。この名誉ある料理人を讃え、食材を切るための刃物全般を「庖丁」と呼ぶようになったのです。

まな板の語源

まな板を漢字で書くと「真菜板」と書きます。この「菜」とは、主食以外の副菜のことを指します。昔は動物性の食材が非常に貴重だったため、真の菜は動物の肉や魚であるとされていたのです。

肉や魚には骨があるため、頑丈な板を敷く必要がありました。そこで、用いられる板の事を「真菜板」と呼ぶようになったのです。