「取舵」と「面舵」の語源

船を操縦する際には、丸いハンドルのようなものをクルクルと回します。その際に「取舵(とりかじ)いっぱーい!」「面舵(おもかじ)いっぱーい!」という掛け声を耳にします。

どっちがどっち?

「取舵」は進行方向を左に向けることで、「面舵」は右に向けることを指します。しかしそもそもなぜ分かりづらい「取舵」と「面舵」などという言葉を使うようになったのでしょうか。

昔の人は、方角を表すのに干支を用いていました。「取舵」は酉(とり)の方角に進路を向けることから「酉舵」が「取舵」に変化したのです。

一方の「面舵」は、卯(う)の方角に進路を向けることから「卯の舵」と呼ばれていましたが、それが徐々に転化して「おも舵」と発音するようになったのです。

ゲートボールは若者向けのスポーツだった

今や年配者向けのスポーツの定番として定着しているゲートボールですが、ゲートボールはそもそも若者向けに作られたスポーツだったのです。

ゲートボールの歴史

ゲートボールはイギリスのクロッケーというスポーツをもとにし、1947年に北海道芽室町で誕生しました。当時は太平洋戦争後であらゆる物資が不足していた時代でした。そこで、遊び道具のない子供のため、また子供の不良化防止のために考案されたスポーツだったのです。

1984年には日本ゲートボール連合が発足。1990年までは毎年、それ以降は4年に一回のペースで、世界各国で世界大会が開催されるほどにまで成長。世界中から20カ国・90チームが参加する、日本国外にも浸透したスポーツになりました。

目の病気「ものもらい」の名前の由来

ものもらい」とは、まぶたに起こる急性の化膿性炎症のことです。学術的には「麦粒腫(ばくりゅうしゅ)」といいます。ものもらいは人から伝染するものだから「ものもらい」だと思っている方が多いようですが、それは間違いです。

ものもらいの名前の由来

「ものもらい」という呼び名は東日本に広くみられる呼び方で、その他にも「めばちこ」「めいぼ」「めもらい」など、地域によって差があります。

ものもらいとは「他人からこの病気をもらう」という意味ではなく、「他人から食べ物をもらうことで病気が治る」と信じられてきたことから付いた呼び名なのです。

実際にはものもらいは他人に伝染する病気ではありません。もちろん迷信の通りに他人から食べ物をもらうことで治るものでもありません。多くの場合は点眼薬で治療できますが、重症の場合には切開手術が必要になります。

66kmしかないのになぜ「九十九里」?

千葉県の刑部岬から太東崎まで、太平洋沿岸に面している日本最大級の砂浜海岸である「九十九里浜」は、その長さは約66kmにも及びます。しかし1里は3.9kmであり、99里というと389kmになるのですが、なぜ九十九里浜という名前なのでしょう。

九十九里浜の名前の由来

これは、非常に長いからという例えで付けた名前ではありません。尺貫法の長さの単位である「里」は、国や時代によってその長さが異なります。

鎌倉時代に源頼朝が九十九里浜の長さを計ろうとしました。その際、6町(1町=約110m)間隔で矢を指していき、99本で浜が終わりました。この時に6町=1里という数え方をしたことで、594本x110mで約66kmという数字が出たのです。つまりこの時代の1里は約600mであったと推測されます。

ですので、距離が長いことの例えや計り間違いなどではなく、66kmだから九十九里浜というネーミングは当時はおかしくなかったのです。

プロ野球で「マジック 」というのはなぜ?

プロ野球のリーグ終盤戦になると「◯◯チームのマジックが点灯しました!」と、大々的に発表されます。この「マジック」とは、「自チームがあと何勝すれば優勝が決定するか」を表した数字ですが、なぜマジックと言うのでしょうか。

マジックの意味

日本では単にマジックと言われますが、正式には「マジックナンバー」と呼びます。直訳で「魔法の数字」となりますが、これでは少々意味が分かりません。 そもそもマジックナンバーは、ビンゴゲームから生まれた言葉なのです。ビンゴするために必要な数字をマジックナンバーと呼び、これは「この数字がでて!お願い!」という感じに、呪文を唱えるようにお祈りすることからきています。呪文は英語で「マジックワード」といい、ここからマジックという言葉は「実現を願う数字」として使われるようになったのです。

「雨垂れ」「耳垂れ」といったら何の記号?

言語には様々な記号が存在します。それでは、日本語で「雨垂れ(あまだれ)」、「耳垂れ(みみだれ)」と読む記号といえば何だと思いますか?

雨垂れと耳垂れ

答えは「!」と「?」です。 「!」は日本では主に「ビックリマーク」、英語では「エクスクラメーションマーク」と呼びます。雨が降ってきているように見えるからか、「雨垂れ」とも読むのです。 一方の「?」は日本では「ハテナマーク」、英語では「クエスチョンマーク」と呼びますが、耳に見えることから「耳垂れ」とも読みます。 両者とも古くは1400年頃の印刷物で登場していることは確認できていますが、その起源は定かではありません。どちらもラテン語が語源になっているという説が有力です。

カルタは元々、貝殻遊びだった

現在では主にお正月にしか陽の目を見ないカルタですが、古くは数少ない娯楽の一つとして広く親しまれていました。現在でいう合コンのような男女の出会いの場としてもカルタ遊びは用いられていたとされます。 カルタの起源 カルタの歴史は平安時代にまでさかのぼります。当時は「貝合わせ」という遊びがありました。ハマグリの貝殻は、同じ貝殻でないとピッタリと合いません。この性質を利用した遊びで、貝殻の上下を分けてピッタリとハマる貝殻を探して集めていくという、どちらかといえば神経衰弱に近い遊びでした。 やがて、貝殻の上下に和歌の上の句と下の句を書き、貝合わせをする遊びが生まれました。後にカード形式となり「歌カルタ」として広まっていき、現在と同様の遊び方になったのは元禄時代に入ってからとされます。 ちなみにカルタという名前は、ポルトガル語でカードを意味する「CARTA」が由来になっています。これは、貝合わせとヨーロッパ由来のカードゲームが融合した結果、カルタの遊び方になったからだといわれています。

クリームソーダを生み出したのは化粧品メーカー

ソーダやコーラなどの炭酸飲料にバニラアイスを浮かべたものをクリームソーダといいます。日本では単にクリームソーダというとメロンソーダの上にバニラアイスが乗っかったものが一般的です。 クリームソーダの誕生 このクリームソーダを生み出したのは、世界シェア5位、日本国内シェア1位を誇る、日本の化粧品ブランドのトップメーカーである「資生堂」です。 資生堂は1872年に銀座に薬局として誕生しました。その後、1902年にこの薬局内に「資生堂ソーダファウンテン」を開設しました。これはアメリカのドラッグストアを模したもので、当時はまだ珍しかったソーダ水やアイスクリームを提供、そしてクリームソーダが生まれたのです。 1928年には「資生堂アイスクリームパーラー」に名称を変更し、洋食レストランとして数々のメニューを提供するようになりました。時は流れ、名称はさらに「資生堂パーラー」となり、現在もなお百貨店内などに複数の店舗を構える人気店であり続けているのです。

なぜ結婚指輪は給料3ヶ月分といわれるのか

昔から、結婚指輪の相場は給料の3ヶ月分だといわれています。今もなお語り継がれるこの言葉は、実際に世論の統計をとったものではありません。それでは一体どこから生まれたものなのでしょうか。 ダイヤモンドの販売戦略 この言葉が誕生したのは1970年代のことで、割と最近のものなのです。それまでは結婚指輪といえば、誕生石をあしらったものを贈るのが一般的とされていました。しかしそこに目を付けたのが、世界のダイヤモンド市場を支配していたイギリスのデビアス社です。デビアス社は日本にダイヤモンドを流行させようと 「婚約指輪は給料3か月分」というキャッチコピーを採用したのです。 同社は他にも結婚10周年を記念する「スイートテンダイヤモンド」など、次々と企画を生み出しました。このスイートテンダイヤモンドの企画が生まれたのが1980年代のことで、同時に「給料3ヶ月分」という広告は終了したのですが、現在でも未だにこの言葉が語り継がれているのです。 このキャッチコピーは日本で最も成功したキャッチコピーとして、広告代理店の新人研修でも紹介されているとのことです。

店先に盛り塩をする理由

盛り塩は、塩をピラミッド型や円すい型に盛り、軒先や家の中に置く風習です。日本では奈良・平安時代には既にあったとされ、縁起担ぎや厄除け、魔除けの意味を持つとされます。よく和食の小料理店などの店先にキレイに盛られている印象がありますが、この盛り塩の由来は現在の意味とは違う目的で行われていたのです。 男を寄せ付ける魔性の盛り塩 盛り塩は中国の晋の時代、初代皇帝の司馬炎が起源という説が有力です。司馬炎は自分の後宮に入れるための女子を5000人も選出し、さらに呉を滅亡させた後には、呉の皇帝の後宮の5000人を自らの後宮に入れました。後宮とは皇帝や王などの后妃が住む場所のことです。 合計1万人もの宮女のいる後宮を、司馬炎は羊(牛という説もあり)に引かせた車に乗って回り、この車が止まった場所の女性のもとで一夜をともにしていたのです。一夜をともにする宮女は、もしかしたら自分が妃になれるかもしれないというチャンスを期待しているわけです。そこで宮女たちは、自分のところに皇帝を車を止まられようと知恵を絞ります。自室の前に羊(牛)が食べるように竹の葉を置き、好物の塩を盛っておいたです。これで自分の部屋に車が停まる確率がグッと高まります。 この故事が元となり、客寄せの意味で盛り塩が始まったといわれています。ちなみに1万人の女性全てを相手にしたわけではありません。中には世話係や女官もたくさんいました。それでも相当数を相手にしていたと推測はできます。